∞あくありんぐ∞

混じり抜きを楽しむものは、衝動買いのことを“神の啓示”という

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ラベル熱帯魚の歴史?(1)

まあ、なんでしょう。
暇やったんで、熱帯魚の歴史でも綴ってみました。
 
遊びです。
ホンマに暇やったら、どうぞwww
 
 
 
 
 
 
 
 
TF(Tropical Fish)暦0803年
シクリッド帝国はディスカス王家により、150年に及ぶ統治が続いていた。
至高王ヘッケル5世の権勢下において、ペルヴィカ・クロミス国との90日戦争が終結してから40年が経とうとしていた。

太平の世を極めていたが、暗雲は着実に近寄ってきていた。
このころシクリッド帝国には眼前たる脅威となる諸外国は存在せず、軍部においては盗賊や海賊征伐といった任務が主となっていた。
このため、目立った功績を挙げる軍人がおらず、出世においても家柄や年功序列が主体となり、先の大戦で功績を挙げられなかった貴族たちは上級貴族の横暴に耐えるより道はなかった。
また、太平が長く続いたため、貴族たちは怠惰な生活を送り、それに伴い軍の錬度・倫理も低下し、収賄・暴行が横行していた。

 そんな折、ヘッケル5世が死去した。
狩りの最中の落馬が原因であった。

ヘッケル5世の長男ヘッケル6世は、先の大戦で戦死しており、弟であるアレンカー公爵が政権を引き継ぐものと思われていた。
しかし、アレンカー公爵が原因不明の病気で急死し、王宮における勢力図が大きく変わることとなった。
アレンカー公爵の息子であるマディラが最有力候補であったが、これに意を唱えるものが現れた。
由緒ある上級貴族であるが、先の大戦において目立つ活躍ができず、名ばかりとなっていたアルタム家、同じく活躍できず中級貴族の座に甘んじていたスカラレ家とドゥメリリィ家であった。
彼らはヘッケル5世の孫娘マナカプル伯爵夫人の第1子、テフェを後継者として推薦したのである。
これに対し、マディラを推薦するジュルパリ家やアカラ家が猛反発した。
しかし、ジュルパリ家は収賄容疑で逮捕され、アカラ家に至っては贅沢三昧の生活を送っていいたため、財政が火の車になっていたことが明るみになり、自殺を遂げた。

これにより、当時まだ5歳であったテフェが皇帝テフェ1世を襲名し、宰相としてアルタム家、軍務尚書にスカラレ家、国務尚書にドゥメリリィ家がつく事となった。

後に言われる御三家時代である。
 
 
 
 
 
 
 
TF0832年
とある安ホテルで一人の元医師が自殺した。
男の名前はナノストムス・ディグラムス。
かつては王立病院の医師を務めていたが、20年ほど前に横領容疑で指名手配され、行方不明となっていた。

身寄りのなかったディグラムスの遺品は、本来ならば遺体とともに埋葬されるはずであったが、彼の手帳に記された内容を見た検死官が、友人であり執政官であったラミ・レジィの元に手帳を届けたことがすべての始まりであった。

手帳を読んだラミ・レジィは、御三家とは距離を置くエリザベ家へ相談を持ちかけた。
当時エリザベ家は当主であるネグロ公爵は高齢であり、病気がちであったため、実質、孫娘のサエがすべての執政を執り行っていた。

手帳を見たサエは、叔父であるグッタータ公爵とともに、手帳の真相を追究することとした。
手帳には、スカラレ家の援助の下、ある細菌を研究していた旨が記されており、その細菌によりもたらされる症状が、アレンカー公爵の病状と酷似していた事が詳細に記されていた。
これにより四半世紀に及ぶ御三家時代は幕を閉じた。
俗に言う「ディスカス・エイズ事件」である。

御三家による王家暗殺事件は、貴族の名誉を失墜させ、圧政に苦しむ民衆に開放の意識を芽生えさせることとなった。
ただし、多くの国民も長年太平の世ですごしてきていたため、すぐに暴動等が発生することなく、地方都市でデモ活動が行われる程度であった。
 
 
 
また、当時は社会経済が安定していたこともひとつの理由である。
ハウス・クリーニングを主業務としていたアドル・フォイと製造業を営んでいたコルレア・パラレルス、服職業を営んでいたビーシュ・リンプが共同で設立したギルドを中心に、市民の生活は充実していた。
ビーシュ・リンプは服職業では後続組であり、白や黒色の靴下を細々と製造・販売している程度であった。しかし、新たな展開として高級志向の赤を取り入れた靴下が、貴族のご婦人方の間で大流行し、見事一代で財を成した人物である。

後に「経営の神様」と呼ばれ、彼の著書はマネンジメントの教科書と呼ばれている。
 
 
 
 
 
 

TF0842年
テフェ1世が44歳の若さで死去した。
死因は病死とも、自殺とも言われている。

御三家が失墜してから、後ろ盾を失ったテフェ1世の権勢は非常に衰えていたという。
もともと御輿としてかつがれただけで、執政のすべてを御三家が担っており、本人は後宮にて複数の愛人と過ごしていただけであった。
また、自らも暗殺されるのではという恐怖を抱くようになり、後年テフェ1世はノイローゼ気味であったという。
 
政権は、第一王子であったテフェ2世が継いだが、父親同様、執政には興味を持たず、新たに宰相となったディプロ・タエニアがとりしきっていた。

このころ社会経済は、通信業で失敗したアドル・フォイの代わりに、ボル・ケーノとバン・ブルビーといった下級貴族のオトシン家が参入し、大きな利益を得ていた。
下級貴族は自ら商売をすることが可能であったが、中級貴族はそのプライドが許さなかった。
当時、貴族の生活は税金で賄われていたが、長年続いた腐敗体制の下、上級貴族を除いて財政はひっ迫している状況であったため、増税が相次いでいた。
 
このころから、各地での民主化運動は活発化し、ある種の暴動行為にまで発展することもしばしばであった。
その急先鋒となったのは、弁護士であったダニオ・エリスロミクロンである。
移民の子であった彼は、幼きころより苦労をしており、貴族に生まれただけで偉ぶる輩を嫌っていた。
そんな彼は「アルアナの夕焼け」という反帝国組織を設立し、多くの活動家を資金・裁判の面で援助していた。

有名なのはTF0848年の「冬のホワイト・スポット騒動」である。
これはビタエニ家が主催の舞踏会に、税金の取立てに不満を持った市民アクセル・ロディ、ダディブル・ジョリィ、プンティウス・ゲリウスの3名が侵入し、バルコニーより小麦粉を撒き散らし、参加者の華やかなドレスが真っ白に粉を吹いた状態となったものである。
その会はビタエニ家のアータ嬢の婚約祝賀会の意味もこめられていたため、参加者は上級貴族も参加していたことから、ビタエニ家の怒りは相当なものであった。
しかし、ダニオ・エリスミクロンは3名の裁判を不法侵入の罪のみで片付けたのである。
 
 
 
 
 
 
そして、悲劇は起こった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
・・・熱帯魚の・・・歴史?
 
 
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  1. 2012/01/08(日) 23:24:24|
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